創業110年超え。客を選ばない森のレストラン
白い洋館の1階ロビーに入ると、黒い年代もののアップライトピアノがある。中国革命の父・孫文の妻である宋慶齢が弾いたもので、国産ピアノでもっとも古いものの1つだ。ここは日比谷公園の中央に位置する「松本楼」。今年で創業116年になる洋食の老舗だ。孫文は1911年の辛亥革命時に日本に亡命して以来、松本楼現社長の曽祖父・梅屋庄吉に連れられ、店の常連となっていた。
「松本楼」と聞くと、毎年9月に開催される「10円カレーチャリティーセール」を思い出す人もいるかもしれない。でもこの店では、カレーではなく1番人気の「オムレツライス 2色のソース」をオススメする。理由は1つ1つの素材が味の主張をしなくても、口の中に入れると実にいい塩梅で、計算しつくされた味がするからだ。世界のオーケストラに例えると、ウィーン・フィルハーモニー。とにかく上品だ。
ソースは、「ハヤシソース」「海老と帆立のトマトソース」「きのこのクリームソース」「カレーソース」の4種から2種選ぶ。私は「ハヤシ」と「トマトソース」にした。
オムレツはふわとろ。ケチャップで炒めたライスは、酸味が極力抑えられている。時々渋い味のハヤシソースを出す名店があるが、「松本楼」のハヤシはエレガントだ。酸味が控えめでスッキリしている。ケチャップライス、オムレツ、ハヤシソースを同時に口に入れると、卵とライスの甘みが一層引き立つ。ハヤシソースがオーケストラでいう金管楽器のような目立つ役割ではなく、味を下支えするチェロやコントラバスのような役目を果たしているのだ。
次にトマトソース。裏ごしされた赤茶色のソースは、口に入れると海老と帆立の優しい甘みの後に、遅れて酸味がやってくる。ここに卵とケチャップライスを一緒にすると、穏やかな甘さが口いっぱいに広がる。楽器ならばホルンだ。音が全体に溶け込みやすい。味にアクセントがあるのは福神漬。いうなればシンバル。爽やかな酸味と辛味が一瞬来て、スッと引いていく。
「松本楼」の客層は、80代から幼児までと幅広い。これは上品で調和の取れた味わいゆえ、客を選ばないからだ。ところで宋慶齢は、1910年代に1階のピアノで何を弾いていたのだろうか。気になる。
ライター/横山由希路
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