激動の時代に生きた「薩摩の偉人」巡り

鹿児島には明治維新や、近代日本の政治・経済の礎を築いた偉人がたくさんいます。
そんな偉人たちの銅像をめぐる、歴史を感じる旅をしてみませんか?

大久保利通銅像(おおくぼとしみち)
西郷隆盛と同じく薩摩藩の下級武士の家に生まれ、ともに加治屋町の郷中にて育つ。島津久光に見出され、明治維新を成し遂げるために大活躍をしました。
島津斉彬銅像(しまづなりあきら)
島津家28代当主。富国強兵策を取り、西欧科学の導入を計り、集成館事業を推進しました。また人材育成に努め西郷らを登用し、日本の近代化に力を入れました。
島津忠義銅像(しまづただよし)
29代島津当主で、最後の薩摩藩主。慶応3年王政復古の大号令後、議定となり、他藩と手を組み版籍奉還に尽力する。後に公爵、貴族院議員も務めました。
天璋院(篤姫)の銅像(てんしょういんあつひめ)
1836年薩摩藩島付の1門に生まれ、島津本家の養女となります。後に五摂家筆頭近衛家の娘として徳川家に嫁ぎ、江戸幕府第13代将軍徳川家定の御台所となりました。
松方正義銅像(まつかたまさよし)
幕末において政務能力を発揮し久光の側近になるなど、低い身分から異例の出世を遂げます。明治時代に2度の内閣総理大臣、7度の大蔵大臣を務め、日本銀行を設立するなど国家財政の基礎を築きました。
若き薩摩の群像
1865年、鎖国時代、薩摩藩が密かに派遣した英国留学生たちの像。一行の留学体験はその後の日本近代化に大きな影響を与えました。
西郷隆盛銅像(さいごうたかもり)
薩摩藩の下級武士の家に生まれるが、名君島津斉彬に取り立てられ、倒幕、そして明治維新という大仕事へ向けて東奔西走しました。明治6年の政変後に下野して私学校を設立、その後起こった西南戦争で亡くなりました。
小松帯刀銅像(こまつたてわき)
喜入領主の肝属兼善の三男として生まれ、斉彬の命により小松家の養子となります。文久2年若くして薩摩藩家老となり、西郷・大久保といった薩摩藩士の活動を支え続けました。
島津久光銅像(しまづひさみつ)
島津斉彬の異母兄弟。国府として藩の実権をにぎり大久保利通を信任し、兄斉彬の遺志を引き継ぐ政策もおこないました。生麦事件、寺田屋事件にも深く関わる人物。
五代友厚銅像(ごだいともあつ)
NHK連続テレビ小説「あさが来た」で人気の薩摩藩士、実業家。大阪商工会議所の初代会頭を務めるなど大阪経済の発展に貢献しました。

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